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2009年11月24日 (火)

とんびに油揚げ掠われた

 野球部の悠斗(ゆうと)とサッカー部の稜真(りょうま)。英語のでは悠斗と稜真はライバルである。

Kate: This pair of cup and saucer cost me 50 dollars.

Nancy: Oh, really?  That's too expensive for me.

 「ケイトの買った紅茶カップとソーサーは50ドルもした。しかし、そんな高価なものをナンシーには買えない。」 と悠斗が訳した。

 すると稜真が「紅茶を飲むには高すぎるが、飾り物としては、手頃な値段だ。」と屁理屈な解釈。

 「実は、我が家では、ロンドンで買った一万円のウェッジウッドのcup and saucer でコーヒーを飲んでいるんだぞ」と私は自慢して見せて、「ところで、値段が『手頃』という英語はなにか。」

 「あッ、分かった」と悠斗が手をあげて答えようとしていると、いきなり横から稜真が、「Reasonable!」と叫んでしまった。

 「正解!しかし、稜真にはRED CARD!」

 

 

 

2009年10月30日 (金)

睦希十九で、何処へ行く

 この春卒業した睦希(むつき)。卒業後は家の近くのコンビニで働いていたのだが、一月ほど前に家を出て、友人の美有(みゆ)と共同でアパート暮らしを始めたというので、訪ねてみた。

 新築の2LDKのアパート。午後5時を少し回った時刻。睦希は、今から仕事に出るのだと言って、着替えの真っ最中。睦希の部屋には入れないから、美有の部屋で待つことにした。いつもは、もっと遅い出勤なのだが、今日は6時前に迎えの車が来るのだと言う。

 着替えを終えて、お化粧をしているらしい。

 「今日は、睦希の元気な様子を見に来ただけだから、もう帰るよ。だから、一寸ドアを開けて顔を見せてよ」と声をかけると、

 「少しだけならいいよ」って言うから、ドアを半分開けて、首だけ入れると、そこに睦希が立っていた。

 すっかり染めた髪に、濃いめの化粧。・・・えっ!これが睦希?

 「久しぶりです。せんせ~も元気だった?」 と言って、睦希が微笑んだ。

 確かに睦希だった。見慣れた睦希の笑顔だった。

 裾に薄いフリルが幾重にも付いている透けそうな衣装。裾をスリムにしたお姫様のようにも見えたが、もしかして、、、キャバ嬢? 

 こころなしか、スリムになった睦希が痛々しかった。

   ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

 私が教えていた頃の睦希はよく過呼吸になった。不安が恐怖に変わり、恐怖が過呼吸の引き金になった。そう、当時の睦希は過呼吸によって身を守っていたのだ。

 そんな繊細な睦希にキャバクラ勤めができるのだろうか。美しく点滅する光と、甘い言葉が飛び交っていても、そこは過呼吸などの通用しない、醜く非情な場所でもあるのだ。

 そこは、欲望と虚言、仮想と現実が複雑に絡み合っている世界。十九歳になったばかりの睦希が、そんな入り組んだ世界で、上手に立ち回っていけるのだろうか。

   ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

 目の前の薄明かりの中にじっと立っている睦希に向かって、「ずいぶん大人になったんだね」としか言えなかった。

 アパートを出ると、まだ5時半だというのに、日はとっくに落ちていた。月だけが明るかった。しかしまだ、それは満月にになりきっていない月。そう、月は未不満(みちず)の十三夜だった。

 

 

 

 

 

2009年10月 9日 (金)

初冠雪の朝

 妙高、火打、焼の三山に初冠雪。急に冷え込んできたので、カーデイガンを着て出勤する。車から降りると、登校してきた女生徒のグループと鉢合わせ。

 「おはようございま~す」と言いながら千尋(ちひろ)が寄ってきて、「今年からあたしたちのカーデイガンは禁止になったのに、先生ずるいよ!」

 「いや、まあ、生徒と先生は別ものだからね。」

 「ゆ~せんせいのカーデイガン格好いいから許してあげる。でも、ボタンはちゃんと掛けておきなよ!」と言って、(メタボの腹が苦しいのではずしておいた)ボタンを全部掛け直してくれた。

 「ありがとう。千尋って意外に優しいんだね!」と言ったとたんに、お腹に力が入ったのか、そのあたりのボタンが二つはずれてしまった。

 「あっ、はずれちゃった!お腹のワイシャツ見えるけど、気にしなくていいからね!」

 「ああ、そうだね。今日はこうして千尋がコーデイネートしてくれた『ちひろファッション』で過ごすよ。」

 

2009年10月 6日 (火)

笑っていいとも!

 今年の1年生のクラスは本当に真面目だ。全員がうなずきながら授業を受けてくれる。職員室で、「このクラスで教えていると、長生きしますよ。」などと言って、授業に出た。

 On  her way home, she went to the supermarket to buy some bread.

教科書の訳は、「家に帰る途中で、彼女はスーパーマーケットに寄った。」となっていた。

 「『寄った』なんて『凝った』訳にしないで、素直に『行った』とすれば『いかった』のに。オレは昨日、帰り道で居酒屋に『寄った』ら『酔って』しまったよ。」と冗談めかして言っても、生徒は真面目に聞いている。

 この笑ってもらえないギャグをきっかけに意地になって、残り時間の15分を、1分に一度の割でギャグを飛ばしまくったが、一人として笑っわない。

 「今日のオレは一寸おかしいのかな。きっと、十数年に1度と言われる巨大台風18号をオレの動物的本能が察知して、頭の回転左巻き。タイフーンが接近してくる、こりゃタイヘーン。 オレの脳みそ、ハリケーン。」

 それでも、生徒はキョトンとしているから、「オイ、オレが無い知恵を絞ってギャグらしいことを言っるんだから、お愛想にも笑ってくれよ。もっと、思いやりのある人間になってくれよ。」

 すると、千佳(ちか)が言った。「先生、本当に笑ってもいいんですか?」

 

2009年9月21日 (月)

玉手箱を開けると

 転勤のたびに机に溜まっている私物などを段ボールに投げ込んで家に持ち帰り、そのまま部屋の片隅に積み上げてある。老い先長くはないのだから早く整理するか始末しろと妻に言われていたので、この連休に整理を始めた。その中に丁寧に折り畳まれた(手紙折り?)大判の画用紙があった。「D2Aよりゆ~先生へ」と上書きしてあった。D2Aとは、私が最初に勤務した学校の家庭科2年A組のことだ。あれから40年近く経っている。

 開いてみると、生徒の寄せ書きで、「"Please take good care of yourself."宮下和子より」とか「たった5ヶ月だったけど英語が好きになりました内田須美子より」、とか書いてある。5ヶ月教えただけで生徒と別れたことなどあっただろうか。生徒の顔も名前も全ったく記憶にない。

 同窓会名簿を取り出して見ているうちに、だんだん記憶が戻ってきた。私が内地留学した年の生徒だったのだ。昭和49年の10月から半年間、東京教育大(現在の筑波大)へ内地留学をしたことがあった。たった5ヶ月しか教えただけなのに、生徒は寄せ書きを贈ってくれていたのだ。出発前の慌ただしさに紛れてそのまま三十数年も段ボールに放り込んでしまった。

 寄せ書きの旧姓と同窓会名簿の住所などから、もう50歳を越したであろう彼女たちの現在に思いを馳せながら、メッセージを読んだ。

 大嫌いな英語だったけど先生の授業はおもしろかったわ!(宮崎広美)

 先生に習ったEnglishはいつまでも忘れません。元気で、、ね。See you again.(館岡幸子)

 楽しい授業ともお別れ。さみしいけど、これからも英語頑張ります。(小林幸子)

 美人のクラスで授業を受けられるとは先生も幸せでしたね。もう一度ゆ~先生に会える日を楽しみにしています。(丸山京子)

 去年はと言えば英語大キライだったのです。でも、でもなぜか今年は好きになったのであります。なぜでしょう。???英語はとても楽しかったのです。今度、会うときには長髪で(ゆ~先生がね)?(石田佳代子)~当時の私は禿げていたのだ~ 

 ゆ~先生から教えていただいてから約5ヶ月足らずになります。先生の授業方法とても良いと思います。おかげ様で嫌いな英語も好き?になりました。でも先生がいないとやっぱりきらいになるかもしれません。私、さよならはきらいです。もう永久に会えないみたいで・・・・。だから、さよならは言いません。また会えるようにです。先生、ぜったいにまた会えますよねsign03(ムッチーこと古川睦子)

 先生の発音練習大変勉強になりました。これからもあのスバラシイ美声を永久に!じゃあ、またね。(竹内里子、山岸久子、横田典子)

 ゆ~先生の授業、とってもユニーク?でおもしろかったよsign03 たま~に、わたしの心臓ドッキンコ、ドッキンコしたけど・・・ネ!(望月まゆみheart02

 ゆ~先生と私達とは、友達同士のようなものでした。先生がおもしろかったからsign01そして顔もあきがこないかったから。10年たっても、よろしくね。( ̄ー ̄)似顔絵(綿貫智子)

 先生頑張ってsign03 ゆ~せんせいの顔みれないと思うとさびしいよオheart03・・・・(匿名

 こんなに素敵な生徒だったのに、顔も名前も覚えていなくて、ごめんね。いま初めて開いたメツセージ。玉手箱のように。みんなに会いたいよオ。会えるものなら会いたいよ。それぞれが幸せになっていてほしいよ。こんなに心の優しい生徒だったのだから、きっと幸せになっているよね。

 

2009年9月15日 (火)

ピグマリオン効果

 綾香(あやか)がいる。笑顔を覚えた綾香がいる。質問に答えた綾香がいる。

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 2年前の綾香は全くの無口だった。声を掛けても無視するか、ただ睨みつけるだけだった。成績も最下位で、赤点間違いなしの状態だった。自分の殻に閉じこもっているというか、自分は醜いアヒルの子だと決めつけてしまっているように見えた。机の前にじっと座ったままで、授業を妨害しないのだけが救いだった。

 ある時、私は気付いた。彼女がちょっと顔をしかめたときに、ぷりぷりしたその頬に片笑窪が浮かぶのだ。

 「あれれ!綾香さんて可愛いんだね」と言うと、綾香は上目で私をにらんだ。私はめげずに付け加えて言った。「片えくぼがとってもかわいいよ。」

 すると隣の奈美(なみ)が相づちを打ってくれた。「そうなんだ。綾香って笑うと笑窪ができるんだよね。」

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  綾香がいる。よく笑う綾香がいる。饒舌な綾香がいる。笑窪がこぼれる綾香がいる。

 そして、平成に入って一番厳しいと言われている就職戦線が明日16日から解禁になる。

2009年9月 5日 (土)

小学英語と自己同一性障害

     英語優先の小学校教育に危惧(9月4日の新潟日報に投稿したもの)

 「過日、日本のある新聞を見て唖然とした。小学校で英語教育を必修化するという記事である。冗談にもほどがある」。8月18日の本紙に載っていた近藤亨さん=ムスタン地域開発協会理事長=のこの視点には溜飲が下がった。国際舞台で活躍されておられる方のご意見だけに重みがある。

 正しい日本語の発話や発声方法さえ教えていない現在の小学校で、英語を必修化するとは何たることか。今、コミュニケーションを上手く取れない子供が増えているのは、日本語の教育方法に工夫が足りないからである。限られた時間割のなかで日本語よりも英語を優先させる余裕などないはずである。

 このままでは、「日本語よりも欧米人並みに英語を駆使できることのほうが大切なのだ」という考えがまん延して、その結果、日本人のアイデンテイテイ(自分が自分であるという認識)が失われてしまう。近藤さんが指摘しておられるように、日本の学生たちの学力が低下している大半の責任は欧米に追従するに急のあまり、わが国が誇る伝統文化の継承をおろそかにしてきたからである。

 私は、「高度な言語を持ち、叙情豊かな日本語を駆使できる民族」である日本人が、自国語をおろそかにすることで、「大切な物を失いはしないか」と、危惧している。

2009年8月28日 (金)

ある少女の思い出

 英語教師仲間数名で月に1度行っている英米短編小説の輪読会で、J.D.サリンジャーの『ある少女の思い出』を読んだ。サリンジャーは、1950~60年代の若者の間で絶大な人気がり、村上春樹の訳で再度脚光を浴びている、『ライ麦畑のつかまえて』(The Catcher in the Rye)の作者である。

 「君はまだ小さな少女さ。でも少年でも少女でも、いつまでも小さいままではいられないんだよ。ぼくだってそうだったのさ。小さな少女だったものが、ある日とつぜん口紅をつけたりするようになる。」

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 輪読会の帰り道、昼の弁当でも買おうと思って、通り道にあるスーパーマーケットに入っると、この春卒業した弥生(みう)が1番レジで働いていた。巻き寿司といなりのセットを買って、弥生のいる1番レジの最後尾に並んだ。

 「割り箸一善つけてねと言って弁当を渡すと、弥生は驚いて

 「あ~れ、ゆ~先生、どうしたの?」

 「ちょっと通りかかったから、みゆの顔を見ようと思ってさ。頑張ってるみたいだね。」

 「あのね、それがさ~・・・・」とレジよりに私を近づけて、「このごろ忙しいってこともあるんだけど、なんだか心がばらばらになりそうなんです。」と言いながら、カウンターの上にサッと両方の掌をつきだした。

すかさず私も両手をその上に重ねた。

「そうかア。結構たいへんなんだね。元気そうに見えたけどね。」

 「ゆ~せんせい、来てくれてありがあとう。少し元気が出てきました。また時々来てくださいね。」

 「ああ、また時々来るよ。元気で頑張っていてね。」

 弥生の心がばらばらになる。 大人社会にとつぜん羽化させられた新入社員 の心が崩れてしまう原因は、やはり人間関係なのだろうか。

入社して5ヶ月経った、あと5ヶ月辛抱できれば、弥生も一人前の社員になってくれることだろう。

 外では、街路樹に、どこからともなく一匹の蝉が飛んできて、懸命に鳴いていた。「ミーン、ミーン」と、過ぎゆく夏を惜しむかのように。 

2009年8月22日 (土)

英語は賤民教育の道具か?

 日本の英語教育、特に小学校の英語について、ムスタン地域開発協力会理事長近藤亨氏のご意見はさすがである。日頃の私の主張と全く同じなので、その記事の概要を紹介します。

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 私の英会話はゆっくりである。その英語力は旧制中学校5年をマスターした程度であるが、35年のネパール生活においても、東南アジアに旅行した時でも何の不自由も感じずに誰とでも会話を楽しんでこれたと思うのである。欧米人が普通に話していると速く感じられ、聞き取り難いが、その時はもっとゆっくり話してほしいと堂々と頼めばよいのである。

 今、国連事務総長の重責を担う、韓国の某氏の記者会見で話す英語は決して流暢とは言えないものの、実に堂々と欧米の外交官と渡り合っているではないか。そして過日、ノーベル賞を受賞した日本人科学者たちは、インタビューの場面で堂々とたどたどしい英語で話しておられるのをテレビで見て、この老爺はむしろすがすがしく、胸潤むを禁じ得なかったものである。

 過日、日本のある新聞記事を見て唖然とした。小学校で英語教育を必修化するという記事である。冗談にもほどがある。

 母国語の日本語もまともに読み書きできない若者たちが、次々と社会に送り出されている現状で、何で英語教育が小学校に必要なのか。

 われわれ日本人は、欧米人が逆立ちしてもまねのできない高度な言語を持っている世界でも希有な民族であり、誇り高い大和ことばやひらがな、漢字をしなやかに駆使できる、叙情豊かな日本語使いのの名人ではないか。今や為政者も深く反省する時である。

                  (新潟日報 2009年8月18日 より)

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 国際舞台で活躍されている近藤亨さんのこの重い言葉に文科省の関係者は是非耳を貸してほしい。小学校では英語の発音よりも日本語の発話、発声方法をきちんと教えるべきである。自国語よりも外国語を優先させるのは賤民教育である。

 

 

2009年8月10日 (月)

信越トレイルを歩く

 新潟県と長野県にまたがって里山を巡る、全長80KMの『信越トレイル』が開通した。生徒、父母、同窓会、地元人たち、教職員が一緒になって、このトレイルを遠足することになった。

 8月8日に、6分割されている信越トレイルのRoute Section-4(関田峠~仏ケ峰登山口8.2km)を歩いた。12名が1班でそれぞれの班にガイドがついてくれた。

 当日は雨模様。北海道のトムラウシ山の遭難みたいにならないように、それなりの装備をして出発したが、標高1300mのブナ林を縫って進む山道は蚊や虻に悩まされた。半袖、埴輪短パンの生徒も多くいたが、(文明の利器ではあるが、環境に優しいとは言えない?)虫除けスプレーでしのいでいた。まあ、今時の生徒は虫害よりも生足(脛足?)のほうにこだわりを持っているようだ。

 各班毎に5~10分の間隔をおいて、説明を聞きながらゆっくり進むことになっていたのだが(私はギフチョウが見れるかもと期待していたのだが)、我が班のガイドさんは通常ペースでどんどん進むものだから、すぐに前の班に追いついてしまう。だから、前の班が風通しと見晴らしの良い場所で一息入れているのに、我が班はいつも蒸し暑い急斜面で立ち止まる羽目になってしまった。

 このトレイルは新潟と長野の県境に沿っているので、右足は新潟県、左足は長野県を歩いていることになるのだ。

 蟻の戸渡りのように左右が切り立っている急斜面の上を歩いている時ガイドさんが、転落しないようにと注意してくれた。私は思わず、「落っこちるなら右側の斜面がいい。新潟県側には直江兼の『愛』があるからすぐに救助に来てくれるが、このあたりの長野県側は真田一族の支配地(?)だから、信頼できない」などといい加減なことを言ってしまって、後悔するはめに陥った。受け取りようによっては、許せないブラックジョーク、大失言。覆水は盆に返らず。

    ★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

 余談だが、中学1年の時に、『覆水盆に返らず』を「こぼれた水は、8月のお盆になってもまだ戻らない」と解釈して先生に笑われた。また、『燈台もと暗し』を「昔の燈台は暗かった」と言ってバカにされた。教師になった今、生徒にこの話しをするときは、なんであのとき先生は「君の独創力はすごい。ゆ~君は想像力のゆたかな生徒だ」と一言褒めてくなかったのだろう。と恨めしそうな顔をしてみせる。

    ★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

 当日は、新潟県のガイドさんと長野県のガイドが半々で、我々の班のガイドさんは長野県から派遣されていたのだった。私の話、聞こえてしまったに違いない。だから、覆水盆に返らず。(It is no use crying over spilt milk.)

 何はともあれ、雨には当たらず、最後は戸狩温泉で風呂に入って、足のふくらはぎの痛みにも生きている実感がこもっていて、(生徒らと共に)歩けることの素晴らしさを実感できた一日だった。

 

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